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C.P.E.バッハ   ハンブルガーソナタ

フルート、ピアノ、舞踏が奏でるクラッシックコンサート

J.S.バッハの次男、エマニュエル.バッハの『ハンブルガーソナタ』はフルーティストにとっての大切なレパートリーの1曲です。今日は、この曲について解説いたします。
2023年5月6日17:30開演、ルーテル市ヶ谷ホールで行われる【フルート、ピアノ、舞踏が奏でるクラッシックコンサート】で演奏いたします!皆様のご来場をお待ちっしています!

【コンサート情報動画】https://camp-fire.jp/projects/view/652524?utm_campaign=cp_po_share_mypage_projects_show https://youtu.be/D-GDTjjrprM 【ホームページ】 https://www.mayuflute.com/

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (1714~1788)はドイツの作曲家で、J・S・バッハの次男。「ベルリンのバッハ」、あるいは「ハンブルクのバッハ」と呼ばれていました。生前の名声は父を上回るほどで、当時は「大バッハ」と称えられました。音楽史上ではバロックとクラシックの二つの時代を繋ぐ音楽家として重要な存在です。

ベルリンではフリードリヒ大王の専属楽師として仕えました。フルート演奏を趣味とした王の宮廷ではエマヌエルの曲は難しすぎて、ほとんど演奏されず、音楽的な趣味が王と一致しないことがしばしばあり、俸給も上がりませんでした。それでもベルリン時代にはクラヴィア奏者としての名声を確立し、フリードリヒ大王もエマヌエルの演奏には賞賛を惜しまなかったと言われています。しかしついに1767年、名付け親のテレマンが亡くなると、彼はフリードリヒ大王の制止を振り切り30年仕えたベルリン宮廷を辞してテレマンが楽長をしていた楽団の後任として新たに楽長となりました。フリードリヒ大王のもとでの演奏活動に嫌気がさしたため、とも伝えられています。彼の内向的な感受性は、気分の赴くままに高揚し、うつろいゆく、人の心の奥に根ざした自己告白的な音楽を生み出しました。音楽の豊かな効果や感情表現は、ハイドンやベートーベンのなどヴィーン古典派に大きな影響を与えました。1783年、エマヌエルは盲目の13歳の少年、フリードリヒ・ルードヴィヒ・デュロン(1769−1826)というの訪問をうけます。この少年は、すでに評判高い天才少年と謳われるフルート奏者でした。デュロン少年の演奏に驚き魅了されたエマヌエルは、このデュロンのために、このト長調のハンブルガー・ソナタを作曲したといわれています。晩年作曲された曲ですが、若々しく、爽やかで、エネルギッシュな魅力的な曲です。デュロンの影響かもしれませんね!

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